会社の成り立ち 完全自社施工店ならではの苦労や経歴

地元府中市で60年以上塗装工事を自社で施工してきた塗装店

長く営業を続けてこれているのも色々なお客様や業者さんのお陰です。

お礼やクレームに育てていただいたので経験や意見を大事にし一つの事を積み重ねて、これからも成長していきたいと思います。

先代は15歳でペンキ屋に修行に出ています、今は高校や大学を出るのが普通だと思うかもしれませんが当時はまだ戦争の影響が残り兄弟や姉妹も多く、私の祖母も旦那を亡くし子供に手に職をつけて自立させる必要がありました。

私は勉強が好きではなかったのですけど高校を卒業し、興味のあった電気や電子の専門学校に通わせてもらえました、たぶん父は自分では選べない事だったので子供にはそういった思いをさせたくない気持ちがあったんでしょうね。

父は自分の父親を知りません、父が生まれて数ヶ月で癌で亡くなっているからです、話を聞いても記憶にないのでそれが普通だったらしいです。

話は戻りますけど、15歳で中学を卒業し阿佐ヶ谷の塗装業者に修行というか就職ですね、父は住み込みで給料なし、お小遣いを親方の奥さんにもらう程度でした、それでも悲しい辛いという話を聞いた事がなく、言われたのが白いご飯が毎日お腹いっぱい食べれた、ご飯を何杯もおかわりできたんだって、仕事して給料なくても手に職をつけれて美味しい白米が食べれることで頑張れるって今では考えられないですし、私も当たり前だった事なので理解できなかったのを覚えています。

そこでの修行を終えて、あてもなく独立する時には親方の奥さんには寂しく引き止められましたが、親方に卒業の証である証明書をいただけました。会社名と実績を積んだ経歴とを含め卒業証書のようなものです。

父は一生それを大事に額縁に入れて飾っていました、もしも自分が育てた職人が辞める、サラリーマンでも仕事覚えて給料いいとこ転職するとなったら今の会社はそれができるかなって思います。

それから地元府中に戻りましたが、あてもないのですけど他の会社の経験も積みたいと他の会社の手伝いや経験を積むために働かせてもらったり、小さな積み重ねをして、遠くてもその頃は自転車に材料を乗せて引いて仕事していたんだそうです、その頃は国道でも砂利道のところもあり材料も今とは比較できないほど使いやすくなくローラーなどもなくとにかく必死で仕事していたそうです、独立してからの努力というか根性がとにかく凄いです。両津勘吉みたいです(笑

少しずつ、本当に地道に道具や車を購入して母と結婚して働いて働いて仕事量も増えていってそれでも根が職人なので家族が食べていければいいという思いで贅沢はしないでもお客様第一で仕事していました。

一個一個の道具を大事にして捨てる事が嫌いで何でもとっておく、まだ使えるというのは自分が苦労してきたことからなんだと思います。

父の趣味といえば旅行とカラオケ、とくにお祭りは大好きで毎年の府中のお祭りや夫婦で行く旅行は全国色々行って安くてもたくさん行けるとこあるんだって言っていました。

現場は宝物、請けた仕事は最後までしっかり終わらせる事で工務店や建設業の仕事が多くなって行きました、バブルの影響で建設業が衰退している時でも忙しく仕事がありました。

世の中がバブルでも変わらず真面目に仕事してましたからね・・・

ここからは私の話です、生まれた時からペンキの臭いを常に近くで感じていて父の帰ってきたら汚い姿をカッコ悪いとは思った事がないんです、それが普通だったのですけど後を継ぐとか考えてなくて父も継がせる気もなくただ何となくですけど建築業に関わっていようとは思っていて電気の施工管理をしたくて数年はゼネコン関係のしている会社で電気施工管理としてやっていました、電気の施工管理は建物の全部の躯体から仕上げまでの図面を見れるようになって杭打ちから引き渡しまで経験できるので今となっては本当に役に立っていますが、現場での電気工事は立場も厳しく寝れない休めないというのが普通で年に休みがほとんどなくて風呂と食事は合間にとって、図面台で寝て起きたらまた図面書くみたいなそれが普通でした、普通だと思って周りもそうだったのですけど仕事は楽しかったので苦には思いませんでした、今思えばかなりブラックでしたね。

でも、最初から最後まで自分の責任だったので受電した後に電気がパッつくと感動して全てが報われて楽しかった記憶しかないんです。

時代的にバブルはじけての就職難でしたので最初の会社は倒産、大手企業で引き取ってもらいましたが子会社に移動、そこでこの仕事一人前になったと自分でも上司にも言われ仕事していました。

実家の塗装会社に入ったきっかけは、父が心筋梗塞になり自分のやってた仕事もタイミング的に辞めるなら今しかないような状況でしたので実家に戻る事になり、それから塗装職人となったのが始まりです、サラリーマンからの職人で毎日が筋肉痛でゼロからのスタートですので慣れるまで何年もかかりました。

うちの父も元気になりよく怒鳴られていました、職人の2世は楽ではありません、、、

それでもいつか代替わりした時のことを考えて、仕事の合間に色々な資格をとりました、新規で何かやるにしても判断基準がなかなか難しいのと資格がある事でお客様に安心していただければと思ったからです。

褒められた事はなかったですね、昔ながらの親方でした。

少しずつ仕事を覚え色々信用されるようになった頃から仕事が楽しくなりました、色々勉強してお客様に喜んでもらうのが達成感でもあります。

その後、10年くらいは父は現場で先頭に立って仕事せず、私がずっとでて職人と仕事をまとめていましたが、80歳になってもう完全に任せると世代交代をしました、仕事が趣味のような感じで元気の源だったので心配だったのですが本人がそうしてくれと言うので素直に了承しました。

その後、半年程度で病気で父は亡くなりました、全てをやりきった、関わった人にありがとうと伝えてくれというのが最後の言葉でした、病気がわかって入院して話をして10日で亡くなったしまいましたが最後に話を家族でできました。それから私も引き継いだ多くのものに感謝して現在に至ります。

これからも広くお客様に知ってもらい全力で続けていきますので、今後とも宜しくお願い致します。


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